Kanesan Shochuya YOTSUYA SHUZOU
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製造工程

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斬新でトラディショナルな
焼酎造り

四ツ谷兼八が、100年前に創業した四ツ谷酒造。
1世紀に渡って、その歴史を受け継いできた一族の物語を振り返る。

 四ッ谷酒造は、九州北部宇佐八幡のお膝元、周防灘を望む大分県宇佐市に位置し、四ッ谷兼八により大正八年(1919年)に四ッ谷酒造場として創業しました。
 当時、四ッ谷兼八は魚市場を経営していて、九州各地に商いを広げ、その際各地で口にした焼酎の旨さが忘れられず、自らの手で旨い焼酎造りを目指したと伝聞しています。
 三十代半ばで戦死した三代目・四ッ谷兼彦の志を受け継ぎ、妻シゲ子(当時30歳2001年7月まで四ッ谷酒造場代表)が女手ひとつで焼酎造りだけは守り抜きました。
 その母の後ろ姿に感銘を受け高校卒業と同時に四代目四ッ谷芳文が蔵に入り、本格的に麦焼酎へ取り組み、現在への礎となりました。
 1999年1月、五代目四ッ谷岳昭が家業への郷愁に魅かれ、大阪から家族共々帰郷。  2001年7月、四ッ谷酒造有限会社となる。
 現在、四代目と五代目で創業当時から受け継がれてきた技と志で焼酎造りに専念しています。

  • ↑創業者の四ッ谷兼八。明治、大正、昭和初期と長洲の繁栄とともに生きた。

  • ↑養子として四ッ谷家に入った徠。クリと夫婦になり家業に勤しみ1937年に他界。


  • ↑徠とクリの息子・兼彦は1938年シゲ子と結婚。四ッ谷家に入る。

  • ↑芳文が生まれたのは、兼彦とシゲ子が結婚した翌年のこと。


  • ↑兼彦は、四ッ谷家を継ぐも戦争に召集され帰らぬ人に。

  • ↑女手ひとつで四ッ谷酒造を守ったシゲ子と鹿児島から来ていた杜氏。

  • ↑幾本もの焼酎の瓶とともに縁側で利き酒をするシゲ子の様子。

  • ↑現会長の芳文と純子は1966年に結婚。


  • ↑小売店の方々との親睦会で、笑みを浮かべる芳文と純子。

  • ↑1985年の四ッ谷酒造外観。焼酎ブームには目もくれずマイペースで操業。

  • ↑宇佐むぎを樫樽貯蔵した逸品『古代』。

  • ↑鑑評会での評価も高かった四ッ谷酒造の焼酎。事務所にずらりと並ぶ表彰状。

四ッ谷酒造では、小売販売および蔵見学は実施しておりません。

四ッ谷酒造有限会社

 〒872-0001大分県宇佐市大字長洲4130

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